不満という名の伏線

行動を止めるのは、いつだって感情でした。
「怖い、不安、失敗したらどうしよう。」そんな感情です。
「変わりたい」と願う一方で、心の底に溜まった泥のような記憶が、「変化は危険だ」と足を引っ張ってくるのです。
これらは和解していない感情、未消化のまま見捨てられた不満の感情から生まれます。
だから私は、2025年の暮れに一つの実験を試みました。
まずは、泥をさらけ出すこと。
この一年抱えてきた不満、嫌悪、情けなさなどの根がディブな思い。
誰に見せるわけでもないので、正直に思い切り書き出しました。
「行動できない自分が嫌だ」
「値段で妥協する自分が許せない」等々。。
蓋をしてきた本音を文字という形にして吐き出したのです。
そして、そのリストを眺めて自分にこう問いかけました。
「もし、これが物語の第一章だとしたら?
「この不満は何の伏線(ふくせん)なのかな?」
「この苦々しい現実は、私に何を教えようとしている?」
その視点でリストを見返した時、自分の望んでいたけど、無理だと思っていた気持ちに触れた気がしました。
「行動できないのが嫌」なのは、心のままに動きたいから。
「値段で決めるのが嫌」なのは、本当に好きなものだけに囲まれて生きたいから。
不満の正体は、抑圧された「理想」。
私は、経済的にも、精神的にも、ただ「自由」でありたいのだという本音。
「そうか、君は自由を叫んでいたのか」
不満だと思っていた感情が、実は私の本当の願いを必死に訴えるメッセージだったと気づいた時、もう戦わなくていい、和解したね、と感じました。
教えてくれてありがとう。
メッセージは確かに受け取ったよ。
そう感謝して「不満」と和解すると、スッと心がかくるなるのですね。
まるで重い錨(いかり)を引き上げたように。
邪魔してきた未処理の感情が薄くなてきた今、こうしてブログを再開できました。
とても小さな一歩ですが、今年のよきスタートを切れたのです。







