正しさよりもありがたい気持ちを

自分を整える。
その基本を「食」に置いています。
なるべく自然に近いものを選び、腹八分目で、よく噛む。
それは、身体という神さま(御身体様)への最低限の礼儀だと思っています。
かつて、マクロビオティックやローフードに夢中になり、十五年以上もほぼヴィーガン食を貫いた時期がありました。
初めてダイエットに成功し、感覚が研ぎ澄まされる。
そんな変化していく自分がとても嬉しかった。
けれども、光が強ければ影も濃くなるのは常。
「正食」というルールを守るあまり、それ以外を「邪食」と呼び、無意識のうちに食事を正誤で判断するようになっていったのです。
例えば添加物は悪。
動物食は穢れ。
けれどもそうやって排除したものの中にも、作り手の思いがある。
また、食材となった命があり、誰かの日常を支える物語があるでしょう。
それを無視し、自分の「正しさ」だけで判断する。
なんと傲慢だったのだろう、と。無知による傲慢さ。今は恥ずかしく思います。
友人が「あなたのやっていることは、金持ちの道楽でしょ?」と諭してくれたことがありました。
その時は怒りはなく、でも何も感じなかったけれど今はわかります。
今、改めて自問します。
体を整える食事とは何か。
それは単に、オーガニックな成分を摂取することではないと。
時に、湯気の立つラーメンが疲れ切った心を元気にしたり、手作りのおにぎりが孤独を癒やすこともあります。
そこに作り手への敬意と、命への感謝があるならば、それは立派な養生食となります。
食を正誤で語ることは、もうしないと決めました。
自分の持っていたこだわりを解(と)き、目の前の食事を味わう。
その緩やかな感謝の心こそが、今の私を最も自然に「整えて」くれる食事です。
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