「感情は出力結果にすぎない」その視点を得た時、肩の荷が降りたように楽になりました。

長い間、感情を「目に見えない問題」として扱ってきました。

「ポジティブに考えなくては。」「自責する気持ちをなんとかしたい。」と思っても、自分自身を無理やりに思い込ませるようで「強制するな!」と叫ぶ私もいたのです。

そんな湧き上がる不安やあせりをどう扱っていいのか、と。

しかし感情を脳の仕組み、システムとしての視点を得た時、目から鱗が落ちた気持ちでした。

そこには「心」という曖昧な領域はなくて、「入力」と「出力」の因果関係だったから。

え、感情は出力という結果なの?嬉しいから感謝する、悲しいから泣く。それが逆だというの?と。

脳は膨大な情報の中から重要」とタグ付けされたものだけを拾い上げるフィルター機能(RAS)を持っています。

こちらが「感謝」という検索ワードを打ち込めば(入力)、脳は忠実にそれに関連する情報を拾い集めてきてくれます。(出力)。

そこに、私の意志や性格の良し悪しは関係なく単なる検索結果としての情報。

そして、その検索ルートは、使えば使うほど太くなります(可塑性)。

 感情が伴っていなくても全く関係ありません。

ただ機械的に「ありがとう」と口にする行動。

それは脳内の神経回路を工事している作業と言えます。

最初は細い道でも、毎日使っていればやがては高速道路になります。そうすれば、脳は自動的に「ありがたい」を高速で出力し始める。

感情も脳内物質の化学反応と捉えてみます。 安心も、やる気も、恐怖も、特定の物質が分泌された結果に過ぎない、と。スポーツ選手がルーティンを行うように、特定の動作をトリガーにして、必要な物質を呼び出せばいいのでは?

ここにあるのは神秘性ではなく、再現性。

このことに、私は深く安堵したのです。 湧き上がってくる感情に、いちいち振り回されなくていいと知ったから。自分を強制して無理やり思い込まなくていいから。

 ただのシステムのエラー、あるいは回路の未整備として処理すればいいのだから。

心がついてこなくてもいい。 ただ淡々と、望む出力のための入力を続けるだけ。 深呼吸をし、言葉を選び、動作を整えればいい。

これは自分というハードウェアのメンテナンス。自分を整えること。
そう腑に落ちた時、静かな湖面のような気持ちになれたのです。