大人になってから何かに憑かれたように多くのことを学びました。
パン教室に懐石料理。
コルドン・ブルーや東京會舘での西洋料理。
マクロビオティックは師範科まで修め、アメリカへ渡りローフードも学びました。

食だけではありません。パソコン、英語、紅茶、ウォーキング、生花、速読、エネルギーワーク等など。。
書き出せばきりがないほどです。

周囲は私を「向上心がある」「努力家」と褒めてくれました。
しかし、その実態は「向上」などという前向きなものではなかったのです。
獲得しても、上達しても、喜びは一瞬。

すぐに「まだ足りない」「これだけでは戦えない」という焦燥感に襲われ、また次の向上できそうなスキルを探しに行く。
それは、終わりのない穴埋め作業でした。

向上心の奥にあったのは別の動機。
「今のままの自分では愛されない」という恐怖。
素敵な自分になれば、完璧なスキルを身につければ、誰かが私を見つけ、必要としてくれるはずだ。
そう信じて現在の自分という土台の上に、欠点などひとつもないような完璧で美しい城を築こうとしていました。

けれど、結果はついてきませんでした。私の信じた努力は空回り。
「努力しているのになぜ?」そんな虚無感で一杯になりましたね。

しかし、今ならその理由が分かります。

「自分は欠けている」という自己否定を出発点にしている限り、何を積み上げても、それは「欠落の証明」にしかならないからです。
「私を見て」と叫びながら、全身で「私は無価値です」という信号を発し続けている。
そんな矛盾した人間には魅力はないよ、と昔の私に言いたい。

努力は必ずしも成長ではないし、善でもない。
苦しさを乗り越えたら幸福はやってくるわけでもない。
恐怖に突き動かされた努力は、ただの自分を傷つける行動とも言える気がします。

そのことに気づき、穴を埋める手を止めた時、初めて肩の力が抜けました。
完璧になろうとするのをやめる。
ただ、今の自分のままで呼吸をする。

本当の成長とは、外から何かを付け足して自分を飾ることではありません。
植物が太陽に向かって、ただ静かに茎を伸ばすように。
本来の自分が、内側から溢れ出ることに他ならないのではないか、と還暦間近になり思うのです。